私は、昔から『男女平等』という言葉が好きではありません。
それは、子どもの頃から、亭主関白な父を見て育ったせいもあるかもしれません。
だからと言って、父が女性が職業を持つことを反対していたわけでもなく、女性を下に見ていたわけでもありません。
ただ、父は自分が家族を守るっていう責任感がとっても強い人でした。
娘の私からしたら、父のそういった気概は、
自分が一家の長に守られているという強烈な安心感でした。
子どもながらにも、女性である母や自分自身にはとうてい及ばない、真似すらできない男性独特の力強い愛情である事は、自然と理解していました。
その男性の深い愛情に、畏敬の念すら感じていた私は、
男性より威張ってみたり、強がってみたり、
あるいは、自分自身は努力せず、
そこに依存するだけっていう生き方だけはしたくないと思っています。
勝ち負けとかじゃないんです。
男性には、女性が持っていない広く深い力強さがあります。
同様に女性には、男性が持っていないしなやかさがあります。
男女お互いが、それぞれの持っていないものを認め合い、尊重し合うことももちろん大事なんです。
でも、そのお互いの良さを表現するやり方はやっぱり、女性が男性を立てた方がうまくいくと思うんですよね。
これは、私の感覚でしかなく、実はちょっとうまく説明が出来ません。
おそらく、
男性は、自分が持っている愛情が大きすぎるが故に上手に表現しきれないんですよね、きっと。
だからこそ、その壮大すぎて把握できないくらいの男性の愛情を
女性がちゃんと感じて、本当にちゃんと感じて、
畏敬の念を持って、感謝して、
その大きすぎるが故に表現できない愛情を
彼らの代わりに
女性が自分を通して表現してあげられたら
女性がそれを体現することができたなら
世界は、地球は、宇宙は、
全部平和につつまれるのかもしれない
…と、思えてならない私がいるのです。
真っ白いキャンバスに
しっかりと下絵を描いていくのは男性。
そこに、美しい色をのせていくのが女性。
って感じですかね〜。
今までずっと、うっすらとは分かってはいたけれど、
父が亡くなり、父のことを色々思い出していて、
急にはっきり浮かんだ私の答えでした。
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