昨晩は、夕飯時に「息子の手」と「夫の手」がよく似ていることに気がつき、「面白いね〜、親子だね〜」と団欒のひとときとなりました。
そしたら『手』について書いてみたくなりましたので、書いてみます。
若い頃は「自分の手」がコンプレックスだった私です。なぜなら、女子らしくない大きくてゴツゴツした男っぽい『手』だったからです。とにかく、華奢な細い手指に憧れたものです。
だけど、いつの間にか気づいたら、「自分の手」が好きになっています。結婚して子育てや家事、さらにはパートでも働く、忙しい長い年月の中で、私の『手』は、若い時よりもさらに男っぽくガッチリとした手となりました。もはや、指輪もキツくて入らない程です。
それなのに何故、そのような心境になるのかと言うと・・・
『手は、その人の人生を表している』ということに気がついたからです。
たまたまですが、私がパートで働くお仕事は、接客することが多かったですので、お会計などの際に、たくさんのお客様、いろんな方々の『手』を見る機会がとても多くありました。
きちんと綺麗にネイルされたお洒落な方、ガサガサに手荒れした方や、ゴツゴツした肉厚な手の方、柔らかくしなやかな手であったり、シワのある手であったり、本当に様々な手を見てきました。
どの手を見ても、その人それぞれの生き方が表れていると感じます。正直、私はどの手も好きです。なんでか、どの手にも温かさを感じてしまうので。
その中でも「あ〜いいなぁ、こういう手」と思うのは、たくさん働いていつの間にかごっつくなった肉厚な手です。
このような手の方は、言葉で愛を語らなくても、どうしても手が愛を語ってしまうんですよね。私にはそう感じます。
だから私は、更にごっつくなってきた自分の手が好きになってきたのかもしれません。自分のため、大切な人のため、誰かのために動かす手は、知らず知らずにその想いや年月を刻んで変わっていくのでしょうね。
シワやしみがある手であろうと、私には「美しい手」に見えます。
今は、コロナ予防で、アルコールで除菌される『手』ではありますが、手から感じられる優しさや愛情を思い出したい今日この頃であります。
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