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寄り添う

誰かの心に「寄り添う」ということは、簡単なことではありません。

寄り添いたい相手にただ同情するだけであったり、

自分の愛情の押し付けであったり、

そもそもの寄り添いたいと言う動機が、自分を良く見せる為であったり。

こういった感情やエゴなどの要らぬものを含んだままだと、本物の「寄り添い」にはならないのだと思います。

逆から見た時、

人には言えないけれど、辛いとか、苦しいとか、悲しいとか感じている時に、

私が心救われるのは、

誰かが私を直接励ます言葉ではなく

誰かが私を抱きしめたりする直接の行動でもなく、

意図せずなのか、もしくは意図している場合もあるのか、わからないのですが、

誰かが

「ただ正しく生きている姿を私に見せてくれること。」

これに尽きます。

「誰かがご自分の心に正直に生きている姿」

これが私を救うことにつながる「寄り添い」になります。

かっこいい言葉も行動も、これには、到底、敵わないのです。

「誰かが正しく生きる姿」が一番の優しさであり、本物の愛情なのだと思います。

人の心の傷に優しく触れることができるのだとしたら、これしか方法はないのではないかと、

私は確信しています。

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