思春期の頃、仲良くなったお友達から、やっと居場所ができて嬉しいって、私と友達になって一緒にいるとホッとするって言われたことがあります。
私のことを居心地の良い自分の居場所だよって、表現してくれたので、私自身は、お役に立てて良かったって思いましたし、たぶん、ちょっと嬉しい気持ちにはなったと思います。
だけど、なんとなく違和感があって、それは大人になった今でも、ずっと忘れることなく、時々思い出す言葉でした。
居場所ってなんだろう・・・。
私自身は、居場所を意識したことがなかったんです。居場所って、当たり前すぎる・・・のに、なんで、そう表現したんだろうってね。ずっと、わからなかったんです。わからない自分がわからないって言った方がいいのかな。
そして、ここ数年でよく思い出すことがあって、私、幼稚園の時によくやった「椅子取りゲーム」がとっても苦手だったんです。あれ、やだったよなぁ・・・って。思い出すことが度々あるんです。単純に人と競うことが苦手だったのかもしれないけれど、運動会とか、部活の試合とか、合唱祭とかそういったものは、いい順位とりたくて燃えちゃう性格なんですよ。だから、やっぱり「椅子取りゲーム」自体が嫌なんですよ、きっと。
なんて、思い巡らせていたら、気がついちゃいました。この2つの記憶は、私が気づいた方が良い「あること」を象徴していたのです。
自分の居場所って、自分の外側には無いんですよ。自分の内側にあるんです。だから、外側で争って取り合う必要が全く無いんですよね。
しかも、自分の居場所は誰かの中には無いんです。自分の居場所は、私自身の中に当たり前にあるんです。生まれた時から、当たり前のように存在するんですよ。もしかしたら、生まれる前からあるのかもしれませんが。
だから、求めなくてもいいし、あるんだから無いなんて感じる必要もないのだと思います。
私の心の拠り所は、私なんだなって。
自分を信じる。自分を頼る。
コレができていれば、多分とっても生きやすくなるんじゃないかなって。
仕事行く前にメイクしながら、ふっと感じて、嬉しくなった私でした。
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