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余韻

今回、この文章書くのには、

大きな勇気と気力が要ると予感していて

書き始めるまでにかなり時間がかかりました。

ちょっと緊張しますが、

私の心を込めて、本気で書きますね。

以前、お茶屋さんで働いていた時に、

私は、泣くほど感動する、ある日本茶との出逢いがありました。

それは、お茶の有名どころ

静岡の掛川のお茶でした。

このお茶を初めて飲んだ時に感じたのは、

飲んだ後、時間が経ってからくる幸福感です。

胸に残る強烈な温かさ、安心感。

言葉でうまく表現できないのですが、

「あ〜生きててよかった〜!」って

何故か心が叫んでいました。

泣きました。

仕事中なのに、自然と涙が出ました。

日本茶というのは、飲んだ後、裏あごに

お茶それぞれの個性の甘みや香りが残り、

どのお茶を飲んでも都度、それを感じるものなのですが、

このお茶に関しては、

もちろん私の好みにドンピシャだったのであろうと思いますが、

それだけではなく、

甘み香りが高い、気の高いお茶だったのだと思います。

ちなみにこのお茶は、決してお安いお値段ではないものでしたが、

とてもよく売れました。

やはり良いものは、多くの方に感動を与えるのでしょうね。

そして、

今回このお茶に関しての大きな気づきがありました。

4月に父が亡くなり、3ヶ月が過ぎようとしていますが、

この間私が感じ続けたのが、

父が生前、私や家族や周りの方々に向けていた「愛」。

この愛の深さと広さに「うわぁ〜」って

圧倒され続けました。

なんでこんなに愛されていたのに、

なんで気付くのが今なのだろう…と。

馬鹿すぎる自分に腹が立って仕方なかったです。

悔しくて情けなくて。

私はこの父の愛にちゃんと感謝して、愛を返すことをしていたのかと、

自問自答し苦しみました。

けれど、それはやっぱり、私のただのエゴなんですよね。

だって、

父の愛は見返りをまったく求めない本物の愛だったから。

正真正銘の「無償の愛」だったから、

私の反応なんて、父からしたらまったく関係ないんです。

震えますよ、こんなカッコイイ愛を最後の最後に

余韻として残していった父が

私は愛おしくて愛おしくてたまりません。

こんなすごい愛情を私はちゃんとしっかり感じて、

震えまくって、泣きまくって、

やっと理解して、

そして感謝を込めて、

さぁ、こっからどう生きてく?

これはもう、「無償の愛」を

拡めていく生き方しかないでしょう。

父に直接愛を返すことができなくても

周りに愛を拡めていくことで、

「無償の愛」が循環することになります。

最高です!

父が生きた証です。

と、ここで、お茶の話に戻ります。

私が感動した静岡掛川のお茶ですが、

このお茶は、自然を愛し、

自然の恵みときちんと向き合い

大切なものを引き継いでいく意思を持った茶農家さんが

「茶草場農法」という里山を守る農法で作られたお茶なんです。

父の愛の余韻と

お茶の幸せ度の余韻は

おんなじものだったのかぁ〜と

気づいてしまったのです。

太陽、雨、風、土、自然の恵みは、私たちに向けられた

まさに「無償の愛」です。

この愛をきちんと理解し、きちんと向き合い、

さらに、循環させてくださっている茶農家さんは

すばらしいですよね。

このお茶を商品にして、この素晴らしさを拡めようとした方々も

やはり愛を持っていらっしゃると思います。

「無償の愛」が循環してますね。

この愛に気づくことができて

良かった〜!

今更気づくなんて、ほんとにいつも抜けてる

私らしいです。

でもきっと、遅くはないはず。

自分の中にある愛と

周りの方々の中にある愛と

私たちを生かしてくれている

自然からの愛、地球からの愛に

感謝し、気づき、周りに伝えていくこと。

私たちのお役目ですね。

子どもたちに綺麗な世界を残したいじゃあないですか、やっぱ。

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